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melma/2019-07-29

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07/29 近々 私は65歳になる。

還暦を過ぎて早5年。

その間に、日々思いを強くしてきたことがあります。

それは、年を取るにつれて
「よりよく生きる」という行為には、強い精神性の努力が必要だ。
ということ。

若きとき、我が身を振り返ってみて「よりよく生きる」に思いをはせることもなく
日々反応として、周りの現象に只一生賢明に対応してきた。
しかしそれは、蟻が障害物を避けるような生き物としての反応だった。
条件反射のような反応である。

人をだますことなく誠実に生きてきたとはいえ、
自分の人生を意味あるものとする「よりよく」という視点での
自己実現、人格の形成、人としての高い品性の確立などに
努力せねばならないことに思い至る。

年齢を重ねるにつれ、経験値も増え、刺激に対して耐性もでき
無自覚な反応に対しても、その無駄に気も付くようになった。

むしろ、そんな無自覚な反応に残りの貴重な時間を浪費することに
疑いを感じている。

私は、「より良い人としての確立はできているのだろうか?」

人として他者の役に立てているのだろうか?

生まれきた理由があると仮定して、その理由を満たせているのがろうか?
そもそも、生まれきた理由を私は、「なんのため」と定義できているのだろうか?

反応としての人生から、自我の確立した人としての生き方が
できているのだろうか?

人として「より良く生きる」ためには、高い精神性を奮い起こし、
そして学ぶ必要がある。

どのような考え方を「柱」として心柱として持つかで、
当然その人生は彩られることになる。

余談になるが、神様を数える単位は「柱」という単位なのだそうだ。
神のごとき高き精神性を持ち自立することには、意味があるようだ。

高い精神性を奮い立たせて、日々を人生を高邁に生きていきたいものだ。

ところで、「高い精神性」とは何を追って「高い」とするのか?
どうすれば「高い精神性」を表すことができるのか?

高い精神性とはいえ、各人の捉える、持ちうる精神性の高さの違いはある。
ただ、自覚することで、より高めることは可能だと信じる。



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